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違いのわからない男

 早いものでもう二月ですね。
 今年のお正月は、例年のように寝正月という訳にはいかず、引っ越してきたダンボールの山と格闘する日々でした。なんとか自分の部屋は日常生活が出来るようになりましたが、相変わらず他の部屋は全てダンボールが占拠し続けていて、その中身があるべきところに落ち着くのは、どうやら春の便りを聞く頃になりそうです。
 それでも、やっと自分の居場所だけはどうにか確保し、ダンボールとの格闘の合間、徒然にネットなどを彷徨っていると、昔の懐かしい唄なども見つけ、暫し聞き惚れてしまっている自分を発見したりの毎日です。片付けの合間にネットを見ているのか、ネットを見る合間に片付けをしているのか…、これではなかなか片付けが進まないのも無理からぬことであります。

 昨年は私の好きな歌手の方が二人も亡くなられました。島倉千代子さん。藤圭子さん。どちらの方もかけがえのない歌手でした。かけがえのない歌手とは、その人でなければ歌えない唄を持っているという、私なりの意味合いでありますが、逆に言えば、大歌手と言われる人は、皆その人なりの歌声をもっているとも言えます。そんな大歌手といえる方々の歌声を追って、ネットを彷徨い歩いていると、時間の経つのを忘れてしまいます。とくに何処かに出向いたわけでもなく、これといった出来事もない昨今、ブログもほったらかしたままでしたが、つれづれに忘れ難い歌声を拾い集めてみました。

 最初は藤圭子さん。私が初めて生の藤圭子さんを見たのは渋谷公会堂でした。その頃、私は全く歌謡曲やら芸能界に興味がなくて、年に一度紅白歌合戦を家族で過ごすついでに聴く程度でした。だから、友人が招待券を手に入れて歌謡曲番組の収録を見にいこうと誘われた時も、全く高揚感はなく、良い暇つぶしが出来たといった程度でした。もちろん藤圭子さんの名前は知っていました。そのころの彼女はデビューしてしばらくした頃だったと思うのですが、おそらく飛ぶ鳥を落とす勢いの時期だったのではないかと思います。なぜこのような曖昧な言い方になるかというと、私は全く歌謡界に興味がなく、藤圭子なる歌手がどれほどのスターなのかすら、ほとんど判らなかったからです。
 ステージには多くの歌手が登場して歌をうたっていきました。悲しいかな、そこに登場した方のお名前を全く覚えていません。誘ってくれた友人が「藤圭子、藤圭子」というものだから、藤圭子さんだけは覚えているのですが、このように、私の歌謡曲にたいする認識は人並み外れて希薄なものでした。
 それだけに、逆に藤圭子さんのステージだけは相当鮮明に覚えています。彼女が登場した途端、客席からは大歓声とともに彼女の名を呼ぶ声が幾重にもなって聞こえました。それだけで、藤圭子という歌手が今大スターなのだということを実感しました。しかし、もっとも私が印象深かったのは、その風貌とその歌声のギャップでした。清楚な白い衣装に身を包んだ、まだ仕草も顔もあどけなさが残ったようなとても美しい女性が、一旦唄いだしたその声は、外見からは想像できないようなドスの効いた歌声で、思わず彼女のそれまでの生い立ちまで思い巡らさずにはいられないような、驚きの対比でした。おそらく彼女はその頃二十前後だと思います。情けないことに、私がいつごろ見に行ったのかも覚えていません。
 藤圭子さんはまさに波乱万丈の人生でしたが、彼女でなければ描けない唄の世界を思うと、惜しい人を無くした感がつのります。合掌。

藤圭子さんが「みだれ髪」を唄っていました。唄い終わってそそくさと恥ずかしそうに退場する初々しい姿が残されています。


藤圭子  みだれ髪



美空ひばりさん・森進一さん、歌のうまい方の持ち歌を歌っても、堂々と藤圭子の世界を唄いきっています。今度は森進一さんの曲です。

藤圭子  命かれても




 私は若い頃、クラシックとジャズだけが音楽だ…みたいなことを思っていました。今考えると空恐ろしい偏屈な若造で、さぞや嫌な人間であったろうと恥ずかしさに身悶えするほどであります。ですから、演歌、歌謡曲…そんなものは誰でも練習すれば歌えるようになるだろうと思っていました。こうして書いているだけでいやな汗が滲んでくる思いです。つまり、それほどに聴く耳を持っていなかった訳です。誰が上手いなんてことも判りませんでしたし、歌手の歌は皆同じに聴こえました。
その後勤めるようになり、社内の宴会などでカラオケなるものが登場してきました。当時のカラオケは8トラックのカセットに曲がセットされていて、お目当ての曲が入っているカセットを機械に入れて選曲するといった感じでした。嫌なものが出回ってきたなぁと思っていたのですが、会社の宴会でも、私は歌うのを頑として拒否し続けていました。人前で歌を歌うなど、音楽の授業でも受け入れなかった位恥ずかしいことに思っていたので、それは到底容認しがたいことでした。そんな或る日、M君という一人の若者が入社してきました。もっとも、私も若者だった頃の話です。M君は私の直属の部下として働くようになったのですが、彼との出会いが、私と歌謡曲との関係を一変させました。
M君は自衛官出身のクラブ歌手という実に風変わりな経歴の持ち主でしたが、その唄声を初めて耳にしたとき、私は驚きと感嘆の思いでしばらく呆然としてしまいました。社内にもそれまでとても歌が上手いと言われていた人は何人かいましたが、M君の唄は、そんなドングリ達の比較とは掛け離れた全く別次元の世界でした。スナックなどで何組ものお客さんが会話で盛り上がっている時でも、M君が唄いだすと、皆振り返ってM君の唄に聞き入るといったことが何回もありました。M君との出会いは、歌が上手いとはどのようなことか…ということを初めて私に解らせてくれた、衝撃的な出来事でした。
「どうしたらそんなに歌が上手くなれるの?」
私はM君に聞きました。おそらく彼にとっては耳にタコができるほど散々訊かれた質問だったと思います。彼は最初の頃適当に答えていましたが、私が余りに執拗に聞くものですから、渋々といった体で(なにせ上司だったものですから(^^; ) 「発声練習からでしょ」と言いました。そして、その単調な練習を最低3ヶ月は続けること。しかもその練習で喉を痛めてとんでもないことになる危険もあると脅しました。しかし、私は小躍りして喜びました。ついに師匠(と勝手に決めていた) が本気になって教えてくれるようになったと……。後年、M君が述懐したところによれば、これは私になんとか諦めさせるように言ったとのことでした。今まで歌を歌ったこともない人に「歌を上手くなるには…」と聞かれて、かなり困ったそうです。しかし、このおバカな弟子は、師匠の意図とは裏腹に、勇躍発声練習を始めました。そのころ車通勤だった私は、同じ区内の僅かな帰路を、わざわざ郊外に出て大回りして帰り、車内で発声練習を続けました。その方法も詳しく教えてもらってなかったのですが、「あ・え・い・お・うって大声で出すんだよ」といった程度の言葉を頼りに練習しました。また、レコード屋さんに寄っては、名前を知ってる歌手のカセットを買って、車の中で掛けて一緒に歌うようになりました。こんなことを3ヶ月どころか半年も続けていた頃、師匠が言いました。
「まさか本当にやるとは思わなかった」
師匠のM君は、半ば呆れ顔、半ば半信半疑といった顔で言いました。しかし、どうにか私の熱意だけは伝わったようで、その後歌謡曲、歌謡界などのことをなんでも話し合う関係になりました。
私の特訓は、残念ながらM君の領域には程遠く、かろうじて人前で歌が歌える程度の進歩に終わりました。しかし、この時期のお陰で、人の歌に関してはとてもよく判るようにようになりました。さんざんカセットを買い漁り、TVは歌謡番組を追い掛け回していたのですから、どの歌手も同じように聞こえていた頃に比べれば、これは格段の進歩には違いありません。もっとも、それは通常の人の感覚を身につけたと言ってしまえば、それだけの話なのですが……。
この頃も大勢の歌手の方がいらして、皆さんその方独自の世界を歌っていました。その中でも、私が大好きだったのが、森昌子さんでした。当時の森昌子さんの歌唱力は、今思えば最も彼女の脂の乗った絶頂期で、私は感嘆して唸るばかりでした。そんな時期に歌謡曲に目覚めたことを、とても幸せに感じています。


森昌子
涙の桟橋





君いとしき人よ





おんなの海峡







 M君のお陰で、私の中には歌謡曲という住人が住み着き、既に住み着いていたJAZZと三人での生活が続きました。すでにM君も退社し、私も相当な小父さんになっていた或る日、TVで「演歌の花道」という番組を見ていた時です。
ちあきなおみさんが出演しました。私は、「随分古い人が出てきたなぁ。この人まだ歌手やってんだ」などと思いながら見ていました。ちあきなおみという歌手に対して、私の知識は「以前確か”喝采”という歌を歌っていた」というものだけでした。最初にちあきさんは石原裕次郎さんの「口笛が聞こえる港町」という歌を歌いました。石原裕次郎さんの歌は、M君に会ってから随分練習していましたので、この歌もよく知っていました。ちあきさんはジャズ風のアレンジで歌い始めました。しびれた、といった雑な表現しか思いつかないのですが、とにかくびっくりしました。一言で言えば「上手い」と言うしかないのですが、そんな上手いとかいう世界を通り越したちあきさんの唄の世界がある気がしました。ちあきさんはその番組の最後にも出てきて「紅とんぼ」という歌を歌いました。その歌を聴きながら、どうしたものか、私の眼から涙が止まらなくなりました。これがちあきなおみという大歌手と初めて出逢ったふた昔ほど前の出来事です。ちあきなおみさんが「喝采」を歌っていた頃、私は「違いのわからない男」でした。歌謡曲と出会ったことは、本当に私の人生をいろどり鮮やかなものにしてくれました。



 ちあきなおみさんの歌は、どれを選ぶかとても悩みます。そのどれもが載せたい誘惑に駆られるからです。



ちあきなおみ
男の友情





かもめの街




秘恋




紅とんぼ






 普段なかなか更新しないくせに、書き出したらなかなか止まらないわがままなブログ。最後までお読みいただき、有難う御座いました。



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とりおやぢ

歌謡曲と呼ばれるジャンルには沢山いい歌がありますよね。小僧の頃にCDショップでバイトしていたのとスナック通いの日々を過ごしたお蔭で耳にする事が出来たのですが…。最近のお気に入りは先輩の十八番の吾亦紅(すぎもとまさと?)で御座います。「マッチを擦れば~…」あ、失礼しました(笑) 今度おっちゃんの唄、聴いてみたいす(*^^*)
by とりおやぢ (2014-02-05 18:18) 

おっちゃん

とりおやぢさん、ご無沙汰しております。
桃ちゃんの始動するのをじっと布団に包まって待っています。
杉本眞人さん、渋いですねぇ。作曲家は皆さん歌が素晴らしいですね。
まぁ、その道のテッペンのようなものですから、当然でしょうが…。
私の唄!? 花粉の時期が過ぎたら考えましょう。それまでに違う理由考えなくっちゃ…。えらいことになってきた。

by おっちゃん (2014-02-05 22:52) 

hideta

お久しぶりです。
ちあきなおみさんは天才ですね。
藤圭子さん、私も10代ころ好きな歌手の一人でした。
なんか陰のある雰囲気と声。

USツアーはいつの間にか開幕してますね。
まったく関心なくなってしまた(笑)ちょっと言い過ぎですが・・・
桃子プロはいい練習できてるような感じが、呟きからは伝わってきますね。開幕戦までまだ一月ありますね。ソチオリンピックを楽しんでもうちょっと待ってやっとこさ出陣!!
今シーズンはどんなプレイを魅せてくれるのか今から楽しみですね。
明日明後日と渋谷で会議です。東京の寒いのでしょうね。
それと都知事選挙前なのでにぎやかかな。


by hideta (2014-02-06 22:07) 

おっちゃん

hidetaさん、こんばんは
またえらい時に東京にいらっしゃいましたね。
寒いという程度ならいいですけど、大雪ですよ。無事お帰りになられますように…。

桃ちゃんのプレー振り、早くみたいですね。ソーキそばでも食べにいこうかな。

by おっちゃん (2014-02-08 02:03) 

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