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中身が濃すぎた数週間

 突然というよりは、来るべくして来たと言った方がよいのですが、先月父が亡くなりました。当ブログでも何回か登場した父でしたが、3年ほど前に肝臓にこぶし大の癌が見つかり、その時に医師から余命数ヶ月、或いは数週間、全く予断を許さず…などと言われました。家族はびっくり仰天。孫娘のお腹には数ヶ月で出産予定のひ孫すら居ましたから、せめてひ孫に会わせてから…などと、一同切実に父の死を意識した瞬間でした。

 なんと、あれから3年、すでにひ孫は駆けずり回り、私たちに「いったいどうなっているのだろう」と首をかしげるほどの不思議さを残して、父は眠るように、と言うより二日ほど眠ったまま、旅立ってゆきました。この間、癌自体の苦痛もほとんどなく、かえってひょいひょい出歩いてはボケによる顰蹙をかっていたようですから、その方がよほど悩みの種だったくらいでした。

 それにしても、この三年間、皆父の死というものを現実に重く受け止めたのも事実で、だからこその親密な時間を過ごせたのも、父の頑張りのお陰と言えるでしょう。聞きたかったこと、話しておきたかったこと等々、突然訪れる別れであったら出来なかったことを、父はその頑張りで残してくれました。私は生来不埒な子供でしたが(弟がその分優等生でありますが) 最後の最後まで優しい父でありました。94歳の大往生。私は越える自信がありません()

 多くの方々にお悔やみや励ましのお言葉を頂戴いたしました。改めて御礼申し上げます。

 

 父が亡くなった週は、上田桃子プロの国内最終戦でもありました。日本でのシード権を獲得するには単独6位以内を確保しなければならない厳しい試合でしたから、こちらの結果も気が気でならず、葬儀を終えた翌日からは、ネットにかじりついて応援をしました。さすがに現地に飛ぶわけには行かず、最終日終盤のスコアーは現地応援組の情報だけがたよりの、実に気を揉む時間を過ごしました。幸い無事来期のシード権を獲得し、優勝した時とはまた違う、格別の達成感を感じた一日でした。桃子プロは「悔しさいっぱい」とのコメントでしたが、それはこの最終戦の優勝争いだけに限らず、今年一年を振り返っての気持ちでもあったと思います。ある決意を秘めて臨んだ今シーズン。その決意、覚悟が具体的にどのようなものかは知る由もありません。「今シーズン米ツアーで勝てなかったら来期は日本でやろう」或いは「勝っても勝てなくても来期は日本ツアーを中心に……」どのような覚悟にせよ、今年のツアーに掛ける意気込みは並々ならぬものがあったと思います。しかし、結果は年間を通して低迷し、米シード権を失うという、不本意なものでした。米ツアーに挑んで6年の集大成として、果断なる覚悟をもって臨んだ一年は、桃子プロの意気込みとは裏腹の結果で終わりました。「言葉ではなく、結果で示したい」と言っていた桃子プロの心中はいかばかりであったでしょう。結果にこだわり続けた桃子プロの苦悩を思うと、たかが一ファンの私ですら、胸が締め付けられる思いがします。

 それだけに、日本ツアーのシード権獲得は、尚更嬉しい出来事でした。通常年間30数試合あるほとんどの試合に出場し、その累積賞金額で次年度の出場権を決めて行く戦いの中で、一桁の試合数でシード権を獲得したのは、フォンシャンシャン、申ジエ、上田桃子の三選手のみです。海外を飛び回り、あるいは日本で、両ツアーのシードを確保し続けた2008年からの頑張りは、それだけで紛れもないトッププロの証だと思います。来シーズンは一旦アメリカツアーから離れ、上田桃子プロの新たなステージが日本ツアーを中心に繰り広げられることでしょう。しかし、その舞台は、賞金女王になった時にみた景色とは全く違った景色となって見えるのだとおもいます。なぜなら、伊達や酔狂で過ごした六年間ではないのですから…。行かなければ決して解らなかったことを体中で心底味わった六年間だったのですから…。

 今年終盤の桃子プロの試合を数戦見に行きました。変な例えかも知れませんが、私はこんな風な印象をもちました。「少々暴れん坊でやんちゃなドラ猫が、六年間アメリカに行っていたら、いつの間にか虎になって戻ってきた!」

日本ツアーに虎が咆哮し、やがてまたアメリカの地を疾駆する虎の姿が目に浮かびます。

 

 宮崎で開催されたLPGAの最終戦ツアーチャンピオンシップリコーカップもとても印象深い試合でした。この試合は賞金女王の行方がもっともクローズアップされ、TV中継もその話題が大きく取り上げられましたが、私が最も感動したのは、大山志保選手の優勝でした。肘や肩の怪我を乗り越え、故郷宮崎で再びメジャー奪取して錦を飾った姿。そのひたむきに前向きな姿勢は、諦めないで前進し続けることの素晴らしさを教えてくれました。 同じように膝の怪我でスイング改造まで余儀なくされた桃子プロを思うと、身につまされるような、勇気づけられるような優勝でした。

 

 父の葬儀の直後には、引越し作業に追われました。喪主としての雑事もそこそこに(ほとんどは弟に任せましたが(^O^) )慌ただしく都民になりました。葬儀と引越しが重なると、この煩雑さ、やるべき事の多さ、想像を絶するものがあります。引越しとは、その行き先が空家である場合がほとんどだと思うのですが、この度は、行く先がすでに家財道具やら父の膨大な蔵書満載の状態で、行き先の整理やら蔵書売却やらを済ませてからの引越し作業となりました。葬儀を終えてからの怒涛の二週間、やっと全ての荷物が移動し旧居を後にした時、猛烈な脱力感が襲ってきました。それでも今まで熱も出さず、こうしてパソコンに向かい、相変わらず無神経なほど元気でいられたのは、まだその後も多くの手続きやら雑事が残っていたお陰かもしれません。

 

 そのような訳で、やっとこうしてブログなどに向かう余裕も若干出来つつあります。まあ、当ブログの忘れかけた頃の更新は通常のことなのですが(それじゃ駄目じゃん!=昇太)、取り急ぎこのブランクの間に起きた実に多くの思いの交錯した出来事を書いてみました。それにしても、もうこんな引越しは懲り懲りであります。

 


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とりおやぢ

あらためてお悔み申し上げます。それにしても素晴らしいお父様で、おっちゃんご自身も掛け替えの無い時間を過ごされましたね(変な言い方ですいません) まさに大往生、ご立派なご生涯だったのだと拝察します。うちの祖母を亡くした時の事を思い出しましたがおっちゃんと対照的に長男である親父は突然のショックに全く使い物にならなくなり孫の私が喪主のマネをしていました。まったく、おっちゃんを見習って欲しいくらいでした(笑)まだまだお忙しいであろう御身体、寒さもますます増してきた折お風邪など召されませぬよう・・・。
by とりおやぢ (2013-12-15 11:29) 

おっちゃん

とりおやぢさん、ありがとうございます。
色々ご心配おかけしましたが、なんとか落ち着きました。
突然でなかったこと、苦しまなかったことはなによりでした。

冬になったばかりですが、春が待ち遠しいですね。来年はいいことが沢山あるような気がします。

by おっちゃん (2013-12-15 20:11) 

COLE

合掌
by COLE (2013-12-15 21:06) 

おっちゃん

COLEさん、ありがとうございます
大切な人と別れるのは辛いことですが、その別れ方を人は選べません。
私の場合はとても恵まれた別れ方が出来たと思っています。

by おっちゃん (2013-12-15 21:28) 

NO NAME

おっちゃんお疲れ様でした。そして東京都へお帰りなさい(*゚▽゚*)我が家からとても近くなりましたね(^O^)

お父様、苦しまれなっかたこと何よりですね。でも3年間ご家族の皆様は大変だったと思います。
私の父も昨年11月に脳梗塞で倒れてから8ヶ月入院していましたが、今年7月に99歳で亡くなりました。病院通いと、いつ電話かかってくるかと気にしながらの毎日でした。その後もいろいろ雑務に追われ、賢島に行く前にやっと落ち着きました。

しばらくはいろいろ雑務があると思いますが、お疲れをださないようにしてくださいね。(弟さんがやってくださるようなので大丈夫かな?(笑))

来年は落ち着いて桃ちゃん観戦出来ますね(*^_^*)観戦計画をたてていますが、ワクワク、ウキウキ、楽しみですヽ(・∀・)ノ







by NO NAME (2013-12-16 00:02) 

くーさん

すみません、前のコメント名乗らずに入れてしまいましたm(_ _)m
byクーさんです。
by くーさん (2013-12-16 01:02) 

おっちゃん

くーさん、こんばんは
名乗らないでもわかりますよ(^O^)
思えば、いつ電話が来るか…といった心配をよそに、随分応援に出歩いたものです(^^;
一番気を揉んだのは1.2ヶ月前にホテル等の予約をする時でした。「まぁ、大丈夫だろう…エイヤ!」 と気合で予約してました。
来年は心おきなく自由に予約できそうです。
さぁ、どこ見に行こうかなー。

by おっちゃん (2013-12-16 22:46) 

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